Opening hours: Mon-Fri 11:30-14:30(14:00 L.O.) 17:00-21:00(19:30 L.O.) By reservation onlySaturday, Sunday, and holidays 11:00-14:30(14:00 L.O.) 17:00-21:00(19:30 L.O.) By reservation only Open Sunday
Rest time: Monday *Except January, August, and December *When Monday is a national holiday, closed the following Tuesday
東京都江東区亀戸4-18-9
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Details
Reservation Info
can be reserved
Children
Children allowed, children's menu available
Payment Method
Credit cards accepted
(VISA, JCB, AMEX, Master, Diners)
Electronic money is not accepted.
Yes (4, 6, 8, 10-20, 20-30, 30 or more)
(Can accommodate 4 persons, 6 persons, 8 persons, 10 to 20 persons, 20 to 30 persons, 30 or more persons)
1F: Table seating 2F: 1 room with sunken kotatsu and 3 rooms with table seating
Smoking and Non-Smoking
No smoking at the table
Parking
None
Facilities
Calm space, tatami room, sunken kotatsu
Drink
Sake available, shochu available, wine available, stick to sake, stick to shochu
Dishes
Focus on vegetable dishes
Comments
(21)
ジュリアス・スージー
4.20
いやぁ、大根で風雅が演出できるんですねぇ。そうか、これが江戸の粋というものなのか、そんなことをぼくは考えたこともなかったよ。いいえ、きっとあなたはいま内心呆れたことでしょう。おいおい、やめてくれよ、大根なんてものは、「大根足」だの「大根役者」だの、あんまりな言われようじゃないか。そのうえスーパーマーケットで売ってるタクアンなんて、ただ色素で黄色く染めただけで、しかも発酵もさせずにアミノ酸で味つけた、哀れでみじめなしろものじゃないか。(タクアン、その名の由来たる臨済宗の僧 沢庵和尚ももしもあれを召し上がったならば、きっと情けなさに涙なさることでしょう。)大根なんかで風雅が味わえるものか!しかし、そんなあなたは、薩摩と長州の田舎侍が、大英帝国のカネで起こした軍事クーデター「明治維新」以降の、脱亜入欧イデオロギーに毒されていて、われわれの故郷、江戸時代の、貧しさのなかに咲く大輪の花ばなを忘れています。いまのうちに大根に謝っといたほうがいいですよ。いいえ、ぼく自身、こちら亀戸升本さんで食事するまでは、正直、大根を甘く見ていたものです。じっさい世の中に多くでまわっている最近の大根には、辛味がありませんからね。(もっとも、升本さんが使ってらっしゃる亀戸大根には、とくに先端部の”おろし”にはちゃんとキリッとした辛味がありますけれど。)江戸の食文化が充実してくるのは、天明年間(1781~1789)あたりからです。それまではけっこう悲惨なもので、慶安 二年(1649年)の「慶安御触書」に、「農民は粗食を心掛け、年貢米のほかは自分たちの食い扶持として雑穀(アワ、ヒエ、キビ)を食べるように」という具合です。(健康には白米よりもむしろ良さそうですけどね。)やむなく農民たちは生きる糧として商品作物たる米を大量に育てながら、しかし自分たちは白米少量に雑穀大量、さらにはイモだのキノコだの山菜だのを混ぜてで炊いたり、はたまた粥にしたりして食べたもの。漁村も食事事情は似たようなものでした。(もっとも、これもまたいくらか怪しげな説ではあって、ほんとうに困窮していたのは武士だったのではないか、という見方もあります。)また、当時は農民のみならず、庶民はみんな雑穀を粥や雑炊にして、主食にしていたもの。しかも、この時代はまだ調味料が塩、酢、味噌しかありませんでした。なお、醤油の醸造のはじまりが寛文元年(1661年)、そしてその二年後に、清酒が発明されています。さらには、江戸時代がいよいよ後期にさしかかる時代、享保の改革(1716~1735年?)の農地改革によって、コメも増産され、また、天明年間(1781年~1789年)にはすでに庶民も白米も食べられるようになって、また流通も充実し、庶民であっても、醤油も砂糖も手に入るようになる。それからというもの、江戸っ子たちはごはん大好きになっちゃって、ひとり暮らしの独身者が1日白米五合炊いて、一汁一菜、すなわち、ごはん、味噌汁、お漬物を基本に食べていたとか。朝は炊きたてのごはんを食べ、昼は冷ごはんをお茶漬けにして。なかには豆腐も、魚もろくに食べず、蕎麦さえ食べず、蕎麦湯も愉しまず、(それでも玄米喰ってりゃなんとかなるものを、しかし)もっぱら精製された白米ばっかり喰っていた人たちもいて、なかにはヴィタミンB1が欠乏し、江戸患いたる脚気になって、倦怠感、食欲不振、心機能が正常に働くなって、手足の痺れ、むくみなどを経て、場合によっては、気の毒にも死んだりもするのですが。怖いですね~、ヴィタミンB1欠乏、あなどれません。ともあれ、かれらはコメとダイコンとトーフを「江戸の三白」と呼んで慈しみ、多彩なごちそうにして愉しんだもの。さらには、かれらは特別なごちそう枠として、鯛と白身魚を加えて、「江戸の五白」とした。その他、外食には、蕎麦、うな重、あなご、いなり鮨などもある。惣菜屋もある。ただし、ふだんの毎日の食の基本は一汁一菜で、せいぜいキンピラゴボウとか、煮豆、ヒジキ、目刺しイワシ、マグロ、そして芋ガラの油揚げなどのなかから、一品か二品つけるていどだったことでしょう。とはいえ、一部では江戸後期になかなかのグルメブームが巻き起こりもして、〈料理人ならば、大根料理を百種は作れなくちゃ〉、と言われる時代になりもするのですが、ただし、この話は後ほどゆっくりやりましょう。おもえば、東京、江東区・亀戸と言えば、かつては江戸の東端、亀戸天神が賑やかな人寄せ場であり、春先には梅が咲き乱れる茶屋もあって、ただし、亀戸から東は民家が途切れ、田畑ばかりが広がっていたそうな。なるほど、亀戸大根が名物であることもわかります。さて、こちら亀戸升本さんは、由緒正しい江戸前の料亭、アサリ飯と大根料理で有名です。(コースでは上等のおいしい和牛も使ってらしゃいますが。)ぼくはいつもの女友達とふたりで、平日ランチに、日本酒升本二合(1800円)そして前日電話予約した、升本御前、2980円×2をいただきました。構成と、ぼくの感想は、こんなふうです。1)小前菜3品ー大根の蟹あんかけ。卯の花。大根の葉の佃煮。味覚の中間色を3つ使い分けたような、はんなりした味わい。2)亀戸大根のアサリ鍋、(テーブルの上で、土鍋がゆっくるい炙られてゆきます。薄切りの餅、緑のコンニャク、厚揚げ、白菜が良い脇役を演じています。)3)アサリの炊き込みごはん、(アサリのだしが染み渡らせて、ごはんはもっちり炊きあげられています。)4)茶碗蒸し、(華やかな薄黄色、まったりした餡が小粋にかかっています。)5)大根と和牛のステーキ、(薄く拍子木状にカットされた大根と、ちいさめの和牛がともにソテーされています。添えられた大根おろしは、辛味がキリッと効いています。テーブルの上に置かれた亀辛麹などちょいとつけていただきます。)6)大根のカキアゲ、(大根とタマネギがもっちりふっくら揚がっています。)7)白玉汁粉。(砂糖大根で炊いた汁粉のブラウンカラーのなかに、白玉がかわいくおさまっています。)いやぁ、実に楽しい。目に楽しく、趣向に驚き、そして食べて滋味ゆたかにおいしいんだもの。ぼくと女友達は、おいしいねぇ、と、何度もため息をついたもの。そしてぼくはあらためて江戸の食文化に惚れ直した。それにしても、享保の改革(1716~1735年?)の農地改革を経て、天明年間(1781年~1789年)、田沼意次による財政改革の後期に、グルメブームがはじまったことも、江戸の底力かもしれません。なぜなら、天明年間と言えば、浅間山の大爆発と、それに由来する大飢饉で知られています。天明三年初夏、長野県、軽井沢の方にある浅間山が噴火し、そのすさまじい爆発音は、なんと京都、四国、広島まで聞こえたそうな。しかも三日間にわたって噴火は続きます。不気味です。標高2500メートルですから、破壊力もすさまじい。東京を含め各地に火山灰が降り注ぎ、日照量が低下し、冷害をもたらし、農作物の収穫が激減し、なんと噴火から5年にわたって凶作が続いたもの。ところが、他方でこの時代こそが、江戸のグルメブームのはじまりです。もっとも、浅間山の大噴火の被害は江戸や大坂(いまの表記では大阪)においては限定的だったことでしょう。なるほど、白米も食べられるようになって、調味料も出揃った。財政改革で、それなりにはみんな、ゆたかになった。これでグルメブームが起こらない方が不思議かもしれません。まず、大飢饉の前年、天明二年(1782年年)に、商都・大阪で、さまざまな豆腐レシピを網羅した『豆腐百珍』なる本が大ブームになって、大飢饉を経て、その二年後の天明五年(1786年)には『大根百珍』が刊行されています。(ほかにも『鯛百珍』『甘藷百珍』『玉子百珍』などが刊行されています。)ぼくはまだ『大根百珍』を拝見していませんが、伝え聞くところによると、多彩な包丁芸が駆使され、なんと大根を包丁芸によって、「梅の花」やら、「椿の花」やら、「桜の花」やら、「山ぶき」「かきつばた」「牡丹」「なでしこ」「百合」「けし」「水仙花」などなどを、咲き乱れさせる技法が伝授されているそうな。なるほどね、ぼくでも知ってる、お雑煮のなかに咲く、京人参を型抜きして作る梅の花も、そしてまた、なにかと出番の多い白髪葱も、江戸の伝統を引いているのですね。そして紹介される大根料理レシピ大全はというと、大根雑炊、大根飯、揚げ出し大根をはじめ、なんと百種にのぼるそうな。なるほどねぇ、そうか、こういう出自だったのね、ようやくぼくは和食の系譜をかいま見ましたよ。和食はおいしさの追求とともに、包丁技芸の開花があって、しかも料理は四季おりおりの移り行く世界を愉しむ風雅のためにある。なるほどね、ユネスコが和食を世界遺産に選んだ気持ちがわかります。そしてそんな気づきをぼくに与えてくれた、亀戸升本さん、ありがとう!!!そしてぼくらは食後に、お隣の梅屋敷で、世にも美しい切子細工の数々を鑑賞し、(切子細工は必ずやアールヌーヴォーに影響を与えたことでしょう)、その後は、香取神社の参道に入り、愛嬌たっぷりのいかにも下町のおばあちゃんが接客なさっている、坂本商店で、褐色の紐を束ねたような不思議なものを発見した。お訊ねすると、これが噂の芋ガラではないですか。この瞬間、ぼくのなかでただの言葉にすぎなかったものが、実体をそなえたモノと一致しました。(芋ガラとは、八ツ頭や赤芽芋、里芋などの葉や茎の外側の皮を、紐状にして、乾燥させたものらしい。)彼女の説明によると、芋ガラは一晩水に漬けてアクを抜き、洗って、切って、厚揚げと一緒に、醤油、砂糖、味醂で煮ると、「おいしいわよ~♡」だそうな。ぼくはそのチャーミングな接客をうれしがったところ、訊けば、彼女はなんとあろうことか、V6の坂本昌行さんのおかあさんだそうな。なるほどお店の壁にはV6のポスターが貼ってあります。そして彼女は彼女のダーリンをおもい、(きょうもあすもどうせあさっても先は読めない、割り切れない現実を受け止めながら?)そっとつぶやきます、「解散しちゃったけどね。」(V6は、活動26周年めの、2021年11月1日に、解散してしまいましたね。)そしてぼくらは、亀戸天神を訪れ、その後、佐野みそさんまで散歩し、(彼女は糀白みそを購入し)、ぼくらはふたたび亀戸駅まで戻り、両国まで一駅電車に乗って、江戸東京博物館の常設展示を鑑賞したのだった。そこでぼくらはあらためて、江戸の人たちのたくましさ、遊び心、凝り性によって作り上げられた、魅惑の手仕事宇宙を味わった。Eat for health,performance and esthetichttp://tabelog.com/rvwr/000436613/